Recurrent Admire

りかれんと・あどまいあー。

[学校・英語・ICT・リカレント・家庭]教育、教職員のウェル・ビーングなどについて

ICT導入の不安

教育にICTを導入したさいに、不安になるのは、視力の問題と、ネットトラブルと、あとはクリーンでない、ダーティな情報に触れやすくなる、ということではないだろうか。

 

どの情報がクリーンで、どの情報がダーティでないか。

純粋培養でいいのか。

大人もフェイクニュースを見分けられているか。

美しいとは何か。

と、考えればこれはこれで難しいですが、セクシーなお姉さんとか、卑猥な言葉とか、ゲームへの誘惑とか、確かに適切でない広告は多いですよね。

 

YoutubeTikTokでも、よくない動画を流し、そのままそれを真似するなどの問題もありました。

 

ところで技術的に、Youtubeの広告を消すことって難しいみたいですね。

例えば休校中に、Youtubeで授業の動画を、となったときに、他の動画への誘導をなくしたり、誘惑を減らしたり、ということは、システム上難しいみたいでした。

このあたりをうまく解決するためには、クラスルーム系アプリを使用するとかになってくるのでしょうか。

あるいは、「自律した」ICT使用者を育成するしかないのでしょうか。

 

その他、ICTの不安への対処として、
・ペアレンタルコントロール
iPhoneの使用時間レポート

などがあります。

このあたりは、我々大人が詳しくなっていくしかありませんね。

でも、すべての大人にその時間と技術、心意気のようなもの、道徳心があるわけではありません。

やはり大きな警察のようなものが必要でしょうか。

しかし、大きな力で支配しようとすれば、個人のプライバシーを犠牲にしたり、自由に制約がかかったりすることは必須ですしね・・・。

 

ともかく、使用時間については、上手にルールを決めて、それを守るように意識していく必要があるかと思います。

ある家庭では、「画面は2時間まで」というような決まりがあったようです。

オンライン学習や、スタディサプリのような映像学習資料など、いろいろ難しくはなってくると思いますが、ともかく誘惑が強く、依存性が高いゲームに流れないように、自律したユーザーになっていかなければなりません。

 

そのためにも、まずは大人自身が、スマホを手放せない、などとなっていないことが重要です。

 

年齢制限についても、意識して守っていく必要があるかと思います。

書籍には優良図書・有害図書というものがあって、その線引きで論争が行われてきました。

これも、価値観の問題で、常に揺れ動くものですね。

メディアが多様になってきて、その論争の場は映像、ゲーム、アプリに移ってきています。
Twitterは変更があって、現在は17歳からしか利用できなくなっています。

ゲームの年齢制限は、あってないようなものになっています。
荒野行動は17歳から、フォートナイトは12歳からになっていますが、小学生はばんばんプレイしている。

このあたりも、議論することと、議論することを反故にしないような意識を、社会全体で共有していく必要があるかと思います。

 

※ところで、映画でもゲームでも、PG12とかは、保護者によるガイド、導き、というようなあいまいな制限になっています。

これって、つまり、どこまでをさすのだろう?

一緒にいたらOK?

いやいや、きちんと、危険な箇所に対する説明が必要?

じゃあ危険な箇所って、PG12とかに明記されているか?

そして、「まあこのくらいいいわよねえ」と思う人もいたり、「これはやばい!禁止しとかなきゃ!」となる人もいたりするのではないか。

そのへんは価値観の多様性なわけだけど、

でも見たり聞いたり考えたり表現したりするものは私たちにとって自由なはずのものなのだけれど、社会に影響を与えるようなそういうものは制限しなければ、ということなのであって・・・