Recurrent Admire

りかれんと・あどまいあー。

[学校・英語・ICT・リカレント・家庭]教育、教職員のウェル・ビーングなどについて

友だちとは何か

友だちとは何か。

 

逆説的に、ゲーム「ポケモンGO」の友だちから考えてみよう。

はじめは「知り合い」から始まる。

それがレベルが上がると、「友達」のなる。

次に、「仲良し」になる。

そして、「親友」になる。

最後に、「大親友」になっていく。

 

ちなみに英語では、

Friend

Good Friend

Great Friend

Ultra Friend

Best Friend

という進化をする。

 

進化に必要な日数は、以下の通りだ。

1日で、「知り合い」から「友達」になれる。

7日で、「仲良し」になれる。

30日で、「親友」になれる。

90日で、「大親友」になれる。

 

ある程度の期間を経ないと友情は育めないか。

そうではない友情もあるとは思うが(あの子とはあのイベントで1日しか会っていないが、ずっと心の中に存在を感じる)、ある程度の期間を保証されないと、育まれない友情もあると思う。

学校は、特定の友達と、毎日顔を合わせる機会を提供する。

 

ポケモンGOにおいて友情を発展させるのに必要なのは、

・ギフトを送ること

・一緒に敵に立ち向かうこと(レイドバトル、ジムバトル)

・ケンカすること(トレイナーバトル)

のいずれかである。

 

ギフト、お金、ものをやりとりしないと、友情は育まれないか。

手紙や誕生日プレゼントなど、ものを送り合う子どももいるが、それがなくなると途絶える友情は寂しい。

ギフトは、何気ないあいさつや、いいねの声かけであったり、くじけそうになっていたり、へこんでいたりするときのサポートであったりするのがいい。

 

部活などで一緒にチームをくんで、強豪校に立ち向かったりするのはかけがえのない経験になるだろう。

時に、硬直化した社会を変える力になっていくかもしれない。

強靭な悪に立ち向かう、正義の力になっていくかもしれない。

 

ケンカするほど仲がいい、ともいう。

衝突、本気でぶつかりあうこと。

それを乗り越えたあとにあるものも、かけがえがない。

 

友だちとは何か。

私のような大人になったオジサンが感じるものと、十代前後の子どもたちが感じるそれは、全く違うと思う。

今オジサンになった私が子どもの頃の友達関係と、今の子どもたちの友達関係は、違うと思う。

でも、その根底に流れているのは、寂しさであり、孤独であり、それでも他者に手を伸ばしたいという欲求である。

 

ヤマアラシのジレンマ。

例えトゲで覆われたお互いであっても。