Recurrent Admire

りかれんと・あどまいあー。

[学校・英語・ICT・リカレント・家庭]教育、教職員のウェル・ビーングなどについて

社会に開いていくこと

閉鎖的になっていた学校を、開いていこう。

そういう動きがある。

 

もちろん、防犯や、プライバシーなど、気をつけなければならないところもある。

しかし、①教員の多忙化 ②生徒の学びの質 から、学校は、開かれていかなければならない。

 

①教員の多忙化 については、学校だけで、教員だけで抱え込みすぎないということだ。

登下校、放課後、会計、給食、土日授業など。

プログラミング、英語、性教育、薬物乱用防止、ネットリテラシーなど。

地域と協力して、子どもを育てていきたい。

 

②生徒の学びの質 については、教師だけの教えでは、生徒の学びに不足が生じる場合がある、ということだ。

例えば、どんなにプロの教師でも、経験職種は多くてもせいぜい2種類か3種類だろう。

この道教師一筋、という人だって多いことだろう。

そんな教師が、「社会」や「世界」について語るのはおこがましい。

実際のその分野で、現場で働いている人の「語り」に任せるのがいい。

 

めんどくさいけど、学校での学びを、学校の中だけで通用する、ということにはしないほうがいい。

それは、子どもたちが卒業したら出て行く先のことを考えたら、自明だ。

 

これまでは、文化祭が、地域に学習の成果を発表する場だったように思う。

今はネットの普及により、今までにないような社会との「繋がり」が出てきている。

学んだことをホームページなどで公表、表現するだけでもいい。

 

以前、あるアスリートの姿を全校によるモザイク・アートで作成した時、撮影した写真をその選手の元に送信する、ということを行った。

ちょっとした応援になればいいな、と思うし、文化祭でお披露目しただけではない、生徒たちには満足感があったと思う。

 

以下の取り組みは、アプリ開発者といっしょにアプリを開発し、それをアプリストアに出す、ということまでしてしまっている。

すばらしい。

www.kyobun.co.jp

 

「マチアルキ」(東京書籍)というARソフトを使って、我が町について、学んだことを紹介するデジタル・スタンプラリーにしてしまった事例もある。

 

プライバシーなどに注意しなければならないけれど、学んだことを実社会に出してみる、という取り組みについて、可能性をどんどん広げていきたいな、と思う。

 

注意点:

ただし、「実学志向」になってはいけない。

社会が要請するからそれを学ぶ、とか、社会が必要とするからそれを学ぶ、というようなことだ。

もちろんそういう面も必要だが、「そうでない面」も、学校には、学府には、必要だと思うのだ。

いま、社会に必要とされていないからと言って、それが本当に不必要な学びなのか?

また、のちのちになって、じわじわと染み出てくるような、遅効性の学びもあるかと思うのだ。

今、この瞬間、社会が必要としている、即戦力的な学びに偏りすぎないこと、も、社会に開いていく学校が、同時に、考え続けていかなければならないことだとは思う。