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りかれんと・あどまいあー。

[学校・英語・ICT・リカレント・家庭]教育、教職員のウェル・ビーングなどについて

習慣の経年劣化、儀式と習慣

cyblog.jp

 

シゴタノ!、おもしろく読ませていただいております。

習慣の経年劣化とか、儀式とか、ネーミングセンスも光っています。

 

上記記事には、なかなか深いことが書かれてあったので、メモ。

・習慣も経年劣化する

・儀式には意味がある

・儀式が続くことが習慣である

・儀式が形式になっていたらやめるか、新しい意味を吹き込まなければ(メンテナンスが必要)

・儀式=テンプレートという言い方をする人がいる(あるいは儀式の習慣化=テンプレート?)

 

マニュアルというものがありますが、それを実際の行動としてとらえたのが、テンプレートでしょうか。

マニュアル人間という言葉も流行りましたが、とりあえず守破離の守ですね。

そして、自らを認知・検証しながら歩んでいく、創造的な営みでもあります。

 

家庭でも、そういうことはたくさんあります。

家族の言葉に傾聴するとか、掃除とか、料理とか、子どもにどういう言葉をかけて送り出すかとか。テレビやスマホの見方、勉強・読書時間の確保とか。

 

学校現場でも、経年劣化する習慣は山ほどあります。

出席をとるのは、体調管理やその日の気分なども見てとるためですが、テスト範囲に追われたり、自分の心の持ちようだったり、研修に追われたり、直前の指導ではらわたが煮え繰りかえっているままだったり、おざなりになったりすることもあります。

英語の授業では、授業のはじめに「帯活動」という、毎回続けて力にしていくような活動があります。1分チャット、単語習得、ピクチャディスクライビング、なんでもいいのですが、目的と効果を検証・メンテナンスしながら続けないとなあ。

職員室では、年始のグランド・デザイン、学校目標は、1ヶ月もすればなきものに……とか。

この前研修してきたあの内容。例えば新学習指導要領の中身の実践とか……。

安全管理面ではこういうことがあってはなりません。

救命救急講座、設備チェック、校内巡視。

でも、安全バイアスがかかってきたりして……。

 

経年劣化する習慣、なかなか根深く、手ごわい問題です。