習慣の経年劣化、儀式と習慣
シゴタノ!、おもしろく読ませていただいております。
習慣の経年劣化とか、儀式とか、ネーミングセンスも光っています。
上記記事には、なかなか深いことが書かれてあったので、メモ。
・習慣も経年劣化する
・儀式には意味がある
・儀式が続くことが習慣である
・儀式が形式になっていたらやめるか、新しい意味を吹き込まなければ(メンテナンスが必要)
・儀式=テンプレートという言い方をする人がいる(あるいは儀式の習慣化=テンプレート?)
マニュアルというものがありますが、それを実際の行動としてとらえたのが、テンプレートでしょうか。
マニュアル人間という言葉も流行りましたが、とりあえず守破離の守ですね。
そして、自らを認知・検証しながら歩んでいく、創造的な営みでもあります。
家庭でも、そういうことはたくさんあります。
家族の言葉に傾聴するとか、掃除とか、料理とか、子どもにどういう言葉をかけて送り出すかとか。テレビやスマホの見方、勉強・読書時間の確保とか。
学校現場でも、経年劣化する習慣は山ほどあります。
出席をとるのは、体調管理やその日の気分なども見てとるためですが、テスト範囲に追われたり、自分の心の持ちようだったり、研修に追われたり、直前の指導ではらわたが煮え繰りかえっているままだったり、おざなりになったりすることもあります。
英語の授業では、授業のはじめに「帯活動」という、毎回続けて力にしていくような活動があります。1分チャット、単語習得、ピクチャディスクライビング、なんでもいいのですが、目的と効果を検証・メンテナンスしながら続けないとなあ。
職員室では、年始のグランド・デザイン、学校目標は、1ヶ月もすればなきものに……とか。
この前研修してきたあの内容。例えば新学習指導要領の中身の実践とか……。
安全管理面ではこういうことがあってはなりません。
救命救急講座、設備チェック、校内巡視。
でも、安全バイアスがかかってきたりして……。
経年劣化する習慣、なかなか根深く、手ごわい問題です。