彼女が水着に着替えた理由
街中にゴシップが散撒かれる。
面白がって人々が、それに火をつけていく。
自分より劣っていると、ほっと胸を撫で下ろすため。
そうして我々を守ってくれるはずの社会は、時に鋭い牙を剝く。
やれ落ち目だ、
やれ不適格だ、
やれ感染者だ。
強烈なドキュメンタリーを見た。
NHK『ストーリーズ』、「彼女が水着に着替えた理由」。
タイトルにちょっと下心が惹かれたことは否定しない。
それで見始めると、映し出される人たちがちょっとだけ泣くことがあって、なぜだかこっちも泣けてきた。
ちょっとだけ泣いた人たちが小さな子どもたちの親であって、そこに同じ立場を感じたからだろうか。
エマさんの息子さん、強いなあ。
4歳のオスメイトさん、お父さん、お母さん。
オスメイトのことなんて、ほとんど知らなかった。
人権問題で重要なのは、知ること、想うこと、行動することであると思う。
エマさんは、表現という行動を通して、みなにその存在を知らしめた。
知らしめたことを見て、人々は何を思うだろうか?
知らしめたことで、共に悩む人々にエールを送ることになった。
知らしめたことで、想いはあるものの、無知な私たちの、心ない一言をたしなめてくれることになった。
知らしめたことは、オスメイトという困難の存在、というだけではない。
それを乗り越えて輝いて生きる、楽しい、幸せな、人生をも、だ。
僕はそんな人生を?
僕の家族は?
僕という教師は?
そこに偶然集ってくれる生徒たちは?
参考: