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りかれんと・あどまいあー。

[学校・英語・ICT・リカレント・家庭]教育、教職員のウェル・ビーングなどについて

教師のリカレント教育②

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教師のリカレント教育① から続き

 

あるいは私たちは、しばしば「変化を想定しなくなる」ことがある。

 

「変化を想定する」ことは、とても難しいことである。

ちょっと前からずっと、いろんなところで「想定外」を聞かないことはない。

私たちの誰が、この2020年を「想定外」と言わずにおれるのだろう?

これは、なんとか光を生み出し、闇から解放されるために生きてきた我々に、

「一寸先は闇」の世界に生きていることを思いださせる。

 

私は学校で働く人間である。

そんな私が、いま、「リカレント教育」を受ける機会を頂いている。

人に教える立場の人間が、再び教えてもらっている、ということになる。

 

学校で「学び続ける 」ことは難しい

「学び続ける教師」というフレーズがある。

教師になる前、そしてなってしばらく、よく聞いたし、自分もそうでありたいと思っていた。

 

しかし現場にいて、過労死ライン越えの勤務といろいろなストレスに晒され、学ぶ余裕というものを失っていた、と、言わざるを得なかった。

 

自分というものの輪郭を見失いつつあったし、

学校というものが、子どもというものが、そんなに好きではないかもしれない、と思いつつあった。

なぜ自分が教師になったのかを見失いつつあったし、

日々のなりわいをただ機械的にこなす「教育公務員」的なものになっていた、

1日を無事終えることにだけ奮起するような、つまらない管理側の大人になっていた。

 

子どもが「あこがれる」、そんな大人とは、まったくもって言えなかったと思う。

 

単純な言葉で言えば、夢を見れなくなっていた。

 

(つづく)