来たほうがいい学校
不登校について書いたときに、強制力を発動して、学校には行かなければならない、というふうに言える時代は過ぎた、というようなことを書いた。
教育を行政サービスとして考えたときに、血税をある程度かけて(日本は諸外国と比べて教育にお金をかけないと言われていますが、そこは置いておいて)、いるのだから、そのサービスをしっかり受けたほうがいいよ、ということは言える。
しかし、サービスであるなら、拒むのも可能でしょうと言われると、口を閉ざすしかない。
少なくとも「義務」教育を行う場所である小中学校には、「この社会で生きていく上で、習得しておくことは義務だ」と思われる知識を授ける、という機能がある。
「この社会」で生きていくためには、学校へは行っておかなければならない。
でも、義務教育と言っても、それぞれの国が恣意的に、時期ごとに定めて行っているもので、「義務」と言われる学習内容はこれだ!と確定してはいない。
国際社会で活躍できる人間を育てるというのなら、日本の義務教育を受けなくてもかまわないはずだ。
これからの学校は、ある意味では傲慢だったこれまでの姿勢を崩す必要がある。
学校へは来たほうがいいのだと、そういうふうに言える魅力をもつこと。
そういうふうに言える自信をもつことが必要だ。
私立の学校などは、そういう「ここに来たほうがいい」というふうなことを、常に考えていると思う。
ただ、教育は資本主義や自由主義の中の競争にさらされるべきものではないのかな、とは思っている。
少子高齢化の中で、消えゆく学校もある。
高校、大学では、魅力のない学校に人が集まらず、廃校の危機を迎えている学校も多いと聞く。
私立や高等教育には、それぞれの課題や考え方があるのだろうけれど、このブログの「来たほうがいい学校」カテゴリーでは、公立の小中学校(特に中学校)で考えていく。
来たほうがいい公立小中学校とはどんなところだろうか。