Recurrent Admire

りかれんと・あどまいあー。

[学校・英語・ICT・リカレント・家庭]教育、教職員のウェル・ビーングなどについて

教師は1年目からかけがえのない教師

2020/9/19→2020/9/21、追記

 

新採の先生は、大変だ。

私なんかも1年目から学級担任と部活動担当を任された。(講師経験があったからか。)

右も左もわからないのに、指導方法も定まらないのに、初任者研修もあるのに。

でも、児童生徒にとっては、教壇に立っていたら1年目であろうが、その人はかけがいのない先生。

教育実習生でさえ、先生、と呼ばれ、あなたから学びました、と涙で手紙を渡されたりするのだから。

 

そのことに異を唱える人が、教職大学院などにはいる。

特に新卒新採は、社会人1年目でもあり、生活も激変する中で、教師という、やりがいはあるが、ストレスフルで、ブラックで、人間が相手の職業に慣れていかなければならない。

だから、新採1年目は、現場の先生に学びながら、副担的な役割で、部の顧問も副顧問で様子を見る。

確かに他業種なら、研修とか、見習いとかから社会人1年目を始めるものだ。

教職の世界は、教員養成課程の大学を出てから教員になったりするし、その教員養成課程で、教育実習に行ったりもしているので、完全にゼロからのスタートではない。

けれど、やっぱり実際に責任をもって仕事を始めるのは大学を卒業してからではある。

 

早く教師になりたくてたまらない、昨今では希有で、私からしたら神様のような人にとっては、しかし、新採1年目からお預けを食らうような、窓際族かみたいな、あまり仕事を任せてもらえないということには、不服があるだろうか。

担任ももちたいし、部活ももちたいし、そのことは見越して教育学部で学んできた、と言うだろうか。

 

新採の先生の離職率は、一般企業も3年間で相当数やめるとか言われているように、教育の世界でも増えてきた。

そのあまりの多忙さに圧倒されて。

無力感を抱いて。

教員という仕事に希望を抱いていて、現実を見て、続けられる自身を失った。

自分の適性はもっと他のところにあると思った。

おもしろそうだと思っていたのに、ぜんぜんそうではなかった。

 

いろいろな理由があるだろうが、しかし、現場での育成方法にも問題はないだろうか。

もともと問題のある職場である。(そうでないと、働き方改革とか言われない。)

もちろん、自らの働き方を正しながら、プラス、新しい人たちの育成についても、真剣に考えなければならないと思う。

 

今、「自らの働き方を正しながら」と書いたが、それについては、諸説あるだろう。

全身教師、生涯一教師、

ブラックなんて誰が言った。

1日中子どもたちのことを考えられて幸せ、ということもあるとは思う。

事実、それで充実することだってあると思う。

そういう人にとっては、今の働き方改革は違和感でしかないだろう。

むしろ、全心全力で働けなくなるのなら、教師をやめよう、そんな本末転倒な気分の人だった多いはずだ。

 

けれど、教師、教職という全体を見たとき、やっぱりどうしても、働き方改革は必要だよなあ、と思う。

部活に没頭しすぎて(熱中、全身全霊をかけて、呪われて。言い方によって美談にもなるし事件にもなるなあ)、過労死する先生がいる。

プライベートな時間をもてず、心を病んでいく。

休みがない仕事になんて就かないと、次世代が敬遠する、職場が痩せ細っていく。

それではいけない、と思うのである。