大人の学び直し
例えばaudiobook.jpの企画で、10月18日まで、「大人の学び直しに!ながら聴き大学フェア」というのがある。
ここで扱われている書籍は、
・古典
・歴史
・宇宙
・社会保障
・人口減少
・雇用・教育・福祉の歴史社会学
・生命
・NLP(Neuro Linguistic Programing、神経言語プログラミング、脳と心の取扱説明書と呼ばれる最新の心理学だそう ※1)
・経営
・会計
といったラインナップであった。
自分が中学生、高校の頃学んでいたことを、もっと深く学び直したい。
あるいは、最新のビジネスシーンなどで見られる方法論やノウハウなどを学びたい、というような感じだろうか。
こういうフェアで取り扱われているのは、「走りながら学ぶ」あるいは「学びながら走る」というようなものも多い。
あるいはそれで十分な場合もあると思う。
自分がやっていることに揺るぎない自信を感じているなら、そこにちょっとトッピング的な感じで、「学び足し」みたいなことをしたらいいと思う。
というか、そういうふうにしていくのがスタンダードな時代になったのだ。
iOSとかみたいに、アップデートしながら、更新しながら、時代に即していくことが重要だ。
コロナ禍でこの頃の子どもは可愛そうだ、と思ってしまう。
でも、前を向いてがんばっている子どもたちに対して、その上から目線は失礼だ。
そもそも、何と比較して可愛そうだと思っているのだ。
新しい環境へ適応しようとしている時代のうねり。
見えなかった、見られてこなかった、隠されていた議論の掘り起こし。
人類は適応の連続で生き延びてきたのであって、そのまさに適応を経験できる強み。
我々ふにゃけた大人とは違った、すごみのある世代に育っていける時代の子どもたちだ。
と、またここで世代比較なんかはせずに、まあこれは、いつの世もそうである、次世代への願い、大人から子どもへのエールだと思ってください。
時代に即した学びを手に、新しい世界に飛び立っていく……
院で学ぶことの意味は、「立ち止まって学ぶ」ということである。
それは、じっくり、深く、ということでもある。
自分を精査して、もう一度見つめ直す。
自分は時代にあっているのだろうか?
周りを見渡すと、世界はどんどん変化していることに気付く。
そのことに気付けるだけでも、立ち止まる意味はある。
時代に即した知を見極めて、探求して、学び直す。
知らなかったことを知る喜び。
そして、フラットな気持ちで、そうした知に触れられる喜びである。
※1