Recurrent Admire

りかれんと・あどまいあー。

[学校・英語・ICT・リカレント・家庭]教育、教職員のウェル・ビーングなどについて

教職大学院に来た意味

大学院に来て、リカレント教育を受けられていることをしみじみ有り難く思う。

そして、大学院に来た意味って、効果って、何があるだろう、と考えてみた。

 

院に来ていちばんよかったと思うのは、心に余裕を持てたっていうことだと思う。

20代の頃に、「社会に出て、擦り切れて丸くなっていくんだろうなあ」ということを考えたことがあった。

社会に出て、教師になって10年以上、それなりにうまくやってきたとは思うが、結局、やっぱり、擦り切れて、丸くなって、ところどころ痛んだりして、痛んでいるけれど見ないふりをしていたりするところがあった。

そういう点は、尖ったことをしなくなったり、無感覚になっていたり、ともかく、子どもたちと向き合うのには不釣り合いな教員になってきていたところも事実。

心を洗濯したり、しわを伸ばしたり、空気をいれなおしたりして、復活できてきたぞ、という手ごたえがある。

 

視野が広がるとか、アンテナをたてるとかいう進歩もあった。

毎日何かメモすることが生まれてきた。

いろんなものを見聞きして、それを吸収しようっていう気持ちになったりした。

子供が好きだ、と素直に言えるようになったりした。

 

学生時代の心持ちに戻れた。

それって、生徒と同じ目線に再び立てた、ということ。

それは、再び教壇に立つ上でも、とっても重要なことなんではないだろうか。