なぜ日本人は英語が使えない人が多いのか
Quoraという、ヤフー知恵袋などのような、問答集。
このサイトの場合、解答者が専門家などが多く、なかなか面白い。
質問に対する答えの中には、単純に、英語を使わなくてもよい環境だから、というものが。
日本人は、日本語圏がそれなりの経済力をもち、その中で生きていくことができる。
日本語文化圏内でも、アニメ、マンガ、ゲーム、芸能、文学など、きちんとした文化があり、その中で楽しんでいくことができる。
その昔、英語公用語論というものがあったが、結局達成されなかった。
強制力を自分たちで発動させるのは難しい、ということと、日本人に英語の強制力を発動させるまでの切実さがなかったのだろう。
内向きな考え方だが、日本語で話すことは、暗号で話すことと同じで、外国に技術や文化や思想やノウハウなどが流出しないメリットもあるのではないか、という意見を聞いたこともある。
翻訳機も発達し、英語を学ぶ意味自体が問われている。
ある回答者、「外国語は、「世界にはこういう発想をする人たちがいるのか!」と知ることを目的にすればよいでしょう。コミュニケーションはAI通訳に任せられる時代が目の前です。」
英語教育に携わる者の無能、というものもあった。
無能の一人として、努力します、としか言えません(笑)
そんな中、オールライトちえみさん(英語講師)の回答が特に面白かった。
・その言語が属する社会や文化を切り離すことはできない
・それらを切り離して学ぶと、「切断型英語」にしかならず、使えるようにはならない
・社会や文化をいっしょに、「包括型英語」を学ばなければならない
最近、STEAM教育について考えた。
STEAMのAはArtなのだが、これがもっと必要ではないか。
Artとは、絵画やクラシック音楽というだけではなく、日常のデザイン、洋楽、それこそ「その言語が属する社会や文化」のあたりに属する手触り、クオリア、書いていて定義がなにがなんだかわからなくなってきたが、ともかく「文化」だ。いや、「社会」か。
で、時間的な余裕ができたから、日本の「文化」、いや「社会」にも目を向けている。
日本と韓国がプロモートしたアイドルだ、最速で5本の指に入ったアニメだ、GPSとARを活用したゲームだ。
心をなくしたからでもあった。
感じない子ども、こころを扱えない大人。
だって、物事をスムーズに進めるためには、心ってわずらわしいんだもの。
ブラック環境で働き方改革、教育公務員になるためには、心を扱わないほうがいい。
生徒も、野菜かなにかだと思い、心をもたないと思ったほうが扱いやすい。
・・・文化が枯渇し、心が干からびてしまうところだった。
自分の英語学習環境も、生活環境ごと見なおそうと思った。
パソコンやケータイの言語を英語に変えた。洋楽を聴くようになった。外国のPodcastを聴くようになった。英語の単語帳や文法書、TOIECの問題集だけが英語じゃないよな、と見直すようになった。
環境を、「英語仕様」にするのだ。
それって、文字通り包括型の英語環境?
では、学校の教室で、どこまで文化、あるいは社会を持ち込めるのだろうか。
・日本文化をさしおいて英語の文化か、英語で日本文化を語るのはどうか
・英語でフランス文化や中国文化を学ぶのはどうか
・ゴシップはどうだ
洋楽を歌う。
日本のコミックの英訳。
要はオーセンティックということか?
状況設定なのか?
それとも、自分自身のこと、身近なことを、深い部分で、英語で表現できるということが大切なのだろうか。
それは、英語の服を着た日本語なのだろうか。
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他にも、こんな質問も。
アインシュタインの引用とともに書かれていて、興味深かった。