とは言え、教師を学びに向かわせるのは難しい
録画用塾講師のような教育技術なら、進んで学んだり、訓練したり、繰り返し見返したりして、うまくなっていけるから。
教師の仕事はナマモノで、目の前の相手は流動的だ。
その点、教師が学ぶべき相手は、落語家であったり、会場を相手取るコメディアンや、さんまさんなどの所作なのかもしれない。
生徒との人間関係を作る用例集は膨大に膨れ上がる。
毎回違う、個性豊かな相手にあわせて。
学習法もそうだ。
生徒も毎年違う。
ナマモノが相手。
「省察的」というが、学んだことがなかなかデータベースになっていかない、ということはつらいものがある。
そうか、用例集、とか、データベース、という考え方から離れればいいのか。
守破離というけれど、頭で考えずに反射的にできるように・・・
なったら危ないのではないか。
反射的に平手打ちが出ました、というような教師は今はやっていけない。
「省察的」というが、なかなか難しい。
場の空気を読んで、その時その時で臨機応変に。
じゃあそれを学ぶためにはどうすればいいんだよ?
ということについても、あと半年のリカレント期間で考えていってみたい。
とりあえず、目の前の事象を読み解けるような、目や耳はもっておきたい。
感じられる、心はもっておきたい。
長時間労働で硬くなった心をふやかし、ゆっくり広げるのにも、リカレントの機会は役に立つと思います。
効用:
映画『君の膵臓を食べたい』や、映画『この世界の片隅で』を見て、素直に涙したり、素晴らしいなと思ったりできるようになる。
PS.『君の膵臓を食べたい』は、修学旅行のバスの中で見た。バスに置いてあったDVDの中から、生徒が選んだのだった。食い入るように見ている子どもたち。途中、冷や冷やするシーンもあったりしたけれど。。。いい映画でしたね。そして、それを久しぶりにテレビ放送で見て、作品を味わい直すことができました。
スティーブ・ジョブズは考えたそうです。
今日が最後の1日だとしたら何をする?