制服→管理教育→主体的・自立・自律の破壊?
・今どきの高校生は「絶対制服」!と、制服推し。
・管理されたがっているのか?
・ある校長先生は、制服を廃止したがっている
・校門で制服チェック、守れていないと保護者呼び出しは管理教育を強化する
・制服のルールを守れていないと制服没収、制服を新規購入しなければならないという校則の高校もある、家計をついておどすような、脅迫のようなことは教育に適するのか
なるほど、確かに制服は管理の象徴でもある。
英語ディベートの教材でも、弁当/給食などと同じく、使われる題材である。
そこでは、「私服は何を着るか考えるのが手間」という意見があった。
スティーブ・ジョブズ氏が自身の制服のように、黒タートルネックとジーンズを着ていたのは、毎朝何を着るのか悩まないためだと言っていた。
「制服は丈夫に作られている、ある意味家計にやさしい」などの意見もあった。
ある意味、制服は平等で、民主的なのかもしれない。
コロナ禍において、我々も管理を望んでいる。
感染した場合の管理、感染防止をしながら商売したりする方法の管理、感染者の経路管理。
「安心のファシズム」という本が昔あった。
未知の未来の世界においては、
スタンダードがない中では、
なんの指南もない中では、
人は不安になってしまうことだろう。
その中で、自らがルールだと、力強く生きていける人間が、激動の時代には必要だ。
それがエネルギッシュだということだろうし、
それが若い力ということかもしれない。
豊かさと繁栄のあとにあるやさしい私たち。
政治家にとっては、コントロールしやすい民がたくさんあってほしいものだろうが。
自分ルールで生きれる人と人が対峙した場合、時にはケンカにもなろうし、時には相手を理解するのに時間がかかったりする。
そこには長い長い対話と時間が必要だろうし、
時には「理解できない部分がある」という了解も必要であろう。
我々は、ケンカするのが苦手だと思う。
あなたは得意ですか?
息子なんかを見ていると、感心してしまう。
必ず最後には「ごめんなさい」と言うのだ。
後腐れない。
すばらしい。
私なら引きずるし、そうして仲たがいした人とは、次回、顔を見るのもいやだ、居心地が悪い。
長い対話も、この頃やっていない。
インスタント・ショートメッセージのやりとりなら得意だ。
誰が聴くでもない、ひとりごとのような言葉なら。
このブログも似たようなものか。
時間をかけて相手を見つめたり、時間を共有することも下手だ。
世の中は忙しすぎるし、情報は多すぎるし、楽しいことも多すぎる。
一人で人ではないものを相手にして愉しむことも多くなってきた。
機械がそれだけ優秀になってきたし、
エンタメもそれだけ巧みになってきたし、
コンテンツも膨大にあふれている。
今のマンガ、呪術迴戦とDr.Stoneを読んだ。
どれも面白い。
動画も毎日のようにアマゾンやネットフリックスやHuluやYouTubeやらにアップされている。
Podcastも面白い。
ゲーム、言わずもがな。
相手の中に、飲み込めない部分があっても、それで一緒にいられますか。
一生相いれない部分があっても、一緒にいられますか。
同類の人と一緒にいるほうが安心しますか。
そういう人となら一緒にいられますか。
ヤマアラシのジレンマは。
とりあえず、制服を着た自由な魂たちを、
救急者のサイレンを聴きながら、
秘めたる闘志を、心の中の灯火(あこがれ)を与えながら、
従順な羊の顔をした、力づよき個人たちを、
教え、共に育つような、
そのような教育を。